スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 |
再放送「創聖のアクエリオン」 第20話「天翅の翅音」
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?

かつて人を叱ったことはあるか?
初めてか?
ならば最後まで見届けろ。
それが叱った者の務めだ。
 ――不動GEN


混乱してくる。
一つ一つのセリフがいろんな立場や見方でゴチャ混ぜになっていて、分けわかんなくなる。
特に双翅との戦闘シーン。
多重構造っていうのだろうか。
いろんな想いの矢があっちやこっちやで突き刺さって本当に整理できない。
これ本当にこういうこと考えて作っているんだろうか。それとも単なる私の考えすぎ?

話しは少し変わるが、

創聖のアクエリオンのことについて書かれている他のブログを見るとよくこういう意見があった。

「やっぱり監督の河森正治が脚本をやっている回が良い」

私は特に意識はしていなかった。私は他の人が脚本している回でも全然違和感がなかった。
まさに素人的な疑問なんだけど「そもそも原作と脚本の違いって何なんだろう?」って思う。
この創聖のアクエリオンは原作は河森正治さんで脚本は河森さんやあと数人で回ごとに分担して作られている。
まず河森さんの原作があって、それを脚色して脚本が出来ている。(ということでいいんだよね?)
ということは脚本家がまったくのゼロから作り上げている訳ではない。(でいいんだよね?)
その原作がどこまで詳細に書かれているのか、それをどのように脚色して書いていったのか。
視聴者がそれを読み取ることは出来ないんじゃないだろうか。原作がもう既に漫画とか小説とかで手に取れるもの以外では。
例えば原作にあったセリフを「これちょっと変だからこういう風に変えちまおう」っていうことを脚本家は出来る。(訳だよね?)
またはその逆で原作とほぼそのままで微細なものだけを脚色した場合もある。(のかな?)
だから視聴者側からは特に判別は不可能なんじゃないか。
そこの所は正直、素人なのでよくわかんないけどそうなっているんじゃないの?
原作は設定だけということもあるのか。。。
設定だけ与えて、あとは脚本家さん自由に考えてっていう風になっているのか?
でも一応大筋のストーリーがある訳だよね・・・。
う~ん、わかんない。
でも、脚本家が変わってもセリフ一つ一つよく考えて作られているように私は思える。


さて、
今回の一つの見所として「カゴメ・オペレーション」が挙げられる。
堕天使を捕獲するという前代未聞の作戦だ。

カゴメ?かごめ・・・かごめかごめ・・・。

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?

そうこれはあの有名な子供の時に歌った歌が元になっていると思われる。
なぜかというと、
捕獲の仕方が籠目(六芒星)

籠目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%A0%E7%9B%AE

六芒星
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E8%8A%92%E6%98%9F

それと歌詞の中の「籠の中の鳥は」
鳥=羽を持つ者
つまり堕天使ということを示しているのだろう。
こういう所もちゃんと考えて作られている。

あとこれは定かではないが、ウィキペディアにかごめかごめの解釈にまつわることが書かれているがなんとなく符合しているようなものがあるが・・・(これは違うのかな)

かごめかごめの歌全体の解釈

この解釈を読むとなんて怖い歌なんだと思ってしまう。。。(これが本当だったら子供が歌っちゃいけないだろ)


このあと、捕らわれた堕天使の双翅は新国連軍のラグナベースに運ばれる。
そして検体として扱われ、
足首に生えていた羽を

切られる。

それは堕天使としての死を意味していた。

前回のエントリーで、
映画「汚れなき悪戯」は天に召されていったがアクエリオンでは・・・と表現したが、
地に堕ちてしまった。
どちらも同じ死だが表現は真逆だ。きつい。

あと映画との類似(?)ということで一つ。
映画「汚れなき悪戯」では天国の母に会いたいという要望が聞き入れられ天に召されていった。
アクエリオンでは、私のあくまで一つの推測だが

双翅はアポロニアスの子供じゃないのか。

双翅は無意識に、地上に行き人類に味方した父アポロニアスの元に行きたくてこのような行動を起こし、そして捕まった。そしてその想いは全く想像できないような形で叶ってしまった・・・。
堕天使がどういう形で子供を作るのか分かっていないがそういう風な妄想も出来てしまう。(じゃあ母親は誰なのかという話になるが頭翅・・・なわけないよな。もしかしたら堕天使は母親がいなくても子が出来るかも・・・)
OVAや劇場版ではそういうシーンはあるが果たしてああいう形で子を産むのかは定かではない。あくまでもパラレル作品なので。


そして堕天使・双翅がこういう結果になったことでやはり動揺する兄妹。
前回でこんなシーンがあったのを覚えているだろうか。

シルビアが大きな影に「裏切り者だ」「殺せ」と言われ、逃げ出す。
そこへ追いかけてきたシリウスと出会う。
安堵したシルビアは、

シルビア「良かった、あれは幻だったのね。」

それに対しシリウスは

シリウス「いや、本当だ。あれは本当に起きうることだ。
魔女狩り、異端審問、スペインの宗教裁判。もし私たちの秘密が漏れれば間違い無くそうなる。
人はそれほど醜い。」
シルビア「そんな・・・。」

全く同じではないがシリウスが言っていたことが現実に起きてしまった。
手首に赤い羽がある兄妹。
自分自身の存在がまた大きな闇、影となって襲ってくる。

あと、
アポロによる双翅への叱責シーン。
シリウスとシルビアがアポロに対して落ち着いて対応をと助言するがアポロは、

アポロ「うるせぇ!!落ち着いて、ガキが叱れるか」

と一蹴する。
この一言は深い。不動も言いそうな言葉だ。
いろんな叱り方があるんだろうけど、よく「理性的に叱る」っていうけど出来るんだろうか。
その時その時で大人、教師がこいつをどうにかしないといけないと本気で叱るから想いって伝わるんじゃないだろうか。
でも、ちゃんとシステムを狙ってやっているということはある程度落ち着いて、理性的に行なっているということなんだろう。
紙一重というやつか。冒頭の不動の言葉「叱った者の務め」ちゃんと為さないといけない。
今日の親子関係も叱れない親がいるらしいからこれを参考にしたほうがいい。(といっても私も親からは数える程度しか叱られたことがないんだけど)
・・・って親子?(アポロと双翅・・・さっきの話につながるのかw)


さて次回は「紅い道」。
天から導かれる紅い道。
そこを渡るのは・・・。
次回を乞うご期待。
関連記事
スポンサーサイト
別窓 | 創聖のアクエリオン | コメント:0 |
<<再放送「創聖のアクエリオン」 第21話「紅い道」 | 緑の手紙。 | 再放送「創聖のアクエリオン」 第19話「けがれなき悪戯」>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| 緑の手紙。 |
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。