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再放送「創聖のアクエリオン」の全放送を終えて
僕は「創聖のアクエリオン」を見るときはいつも儀式(?)みたいなものをしてる。
それは、観る前に

これまでのことはすべて勘違いだろ?

と心の中で思うこと。
今までに「創聖のアクエリオン」感じたものすごい感動はすべて幻、こんなハチャメチャな物語に感動するわけ無い、単なる結構長い期間の勘違いだ・・・などのことを一人心のなかで思い込むことにしている。
なぜかというと、フラットの状態で見たほうが認識のズレがなくなり、新たな発見や感覚があると思うから。
ブルーレイディスクを買った時でさえ、ディスクをプレイヤーに入れるときも「こんな大枚はたいて、つまんないアニメ買っちゃったな」って思ってた。(自分でもかなりの強者なんじゃないかと思うw)
それで大体「オムナ マグニ」が流れ始めた時、

やっぱりスゲェな!とんでもないな、これは!

と思う。
いつもこれの繰り返し。。。


僕は自分でも「創聖のアクエリオン」を見てる時は純粋に見てるなと思う。
始まってから「オムナ マグニ」流れるまで、他のことは何も考えずに集中してボーッと見てる。まるで机の角を一点見つめしている状態。だから結構、このブログに書くためにセリフを書き出す行為がしばしば疎かになってしまう。だから観る回数も必然的に多くなってしまう。
以前もこういうことを書いたが、この作品を見ているとき、自分は夢を見ているような感じになる。
だからなかなか意識的、論理的に書くことがとても難しかった。もちろん僕の文章力が全くないのもある。(ほぼそれかなw)
なのでブログ書くときにパソコンの前でどうすれば良いのかとずっと考える時間が多かった。

初め、「創聖のアクエリオン」のことについてブログを書こうと思ったときは意気揚々と「文章力が無くても情熱さえあれば!」と軽く考えていた。でも、パソコンの前で一文字も書けないまま2時間くらい経過したときはさすがにこれは駄目だろと。しかもそれはかなり序盤からだった。
そんな調子だから書く気はあるけど、この感覚をどう表現すればいいんだろうと袋小路に入った気がした。
いつも書いて消し、書いては消し・・・そしてもう次回の放送が始まってしまう。
とうとう、もういいかこれで、の繰り返し。
読み返すたびに「こんなことが言いたくて書き始めたのか?」と自問自答する。(う~ん、難しい。。。)

それで、もうやめよう、ブログ書くのやめようと何回も思った。こんなブログ誰も見てないし。いいじゃん別に途中でやめても。誰も困りゃしない。まして「なんでやめちゃったんですか」なんてコメントがくるわけない。自分の中だけでいいじゃんと、ほぼ毎回ブログ書き終えて思った。
だけど「創聖のアクエリオン」の放送を見終わったとき、今回はどう書こうかと考えている自分がいる。これはとてつもない作品だから一人でも知ってほしいという気持ちが沸き上がってくる。
こんな時、僕にとってそういう気持ちにさせてくれる本当にかけがえのない作品だと思わされる。


2008年に僕は初めてこの「創聖のアクエリオン」を見た。そしてハマった。今もその熱はまだ冷めていないと思う。
しかし、正直僕はこの作品をアニメの中で一番好きか?と聞かれてYESとは言い辛い。
アニメの中では僕は「十二国記」が一番好きだ。今でも変わってない。(同じ原作者小野不由美の最近放送されたアニメ「屍鬼」も面白かった。始めの方は「見るのやめようかな?」っていうほどつまんない空気が流れていたが途中からの追い上げが半端なかった。ホラーでグロテスクなシーンもあるけど人間の闇を深くエグッた良作だ。)
その他、「ふたつのスピカ」や「ぼくの地球を守って」、「獣の奏者エリン」などが大好き。(なぜかNHKでやってたアニメが多いw)
「なんじゃそりゃ!?」と思う人がいるかも知れないが、僕は「創聖のアクエリオン」はアニメだと思ってない。
アニメというジャンルには除外したい気持ちがある。さらにいうとあらゆるジャンルからも外したい。
アニメというフォーマットを使っているけど、どのジャンルにも当てはまらないと思う。

言うなれば教典だと思う。

「こいつ頭がおかしい」と思っただろう。(いいよ、頭おかしいもん)
思われついでにさらに言うと、この作品を初めて最後まで見たとき強烈に思った疑問がある。

これ人間が作ったの?

たかだか人間の人生80年そこそこ、めちゃくちゃ頑張って120年。この期間に出来るわけがない。最低でも400年、普通1000年掛かるんじゃないと直感的に思った。いくら題材が長い間語り継がれてきた世界各地にある神話でも。。。

例えるなら、
どこかにある、屋久島にあるような巨木を見て僕が住民に尋ねる。
僕「これ、樹齢何年くらいなんでしょうか?」
そして住民が答える。
住民「去年植えました。」

僕「はぁ!?」

こんな感覚な気がしたんだ。
もはや、どこかの山奥にいる仙人(ヒマラヤの聖者)や宇宙人に聞かなきゃ無理でしょ。それぐらい思った。
この作品にこんなこと思っているのは世界探しても僕くらいだろう。

また、この物語はほぼすべて真実だと思えてならない。
今でこそアクエリオンのギャグ要素が分かったが、初めて見たときなぜかすんなり受け入れている自分がいたんだ。すんなり受け入れているどころか脳がびっくりしている感覚があった。
なにかわかんないけど自分は普通に見ているのに自分とは違う何かが「何でこんなこと知っているの?」「ありえない。」という不思議な感覚が支配していたといってもいいぐらい。
そして初めてギャグだろと思ったところで号泣するという経験もしている。(※)
なにか自分の魂がこれは本当のことなんだよと知らせてくれているような神秘体験というんだろうか。
本当に僕にとって不思議体験の連続な作品だ。(まだいろいろ不思議な体験はしているんだが。。。)
まぁそれだけハマったということにしておこう。。。


ところでアクエリオンが表現しているもの簡単に言うとこういうことかなのかな?とパッと思いついたことがある。

まず実験者がある二人の被験者を選ぶ。
実験者はその二人に「全くの他人がお互いが肩もみすることによっておこる体の変化の実験だ」ということで協力してもらう。
そして二人に目隠しをして、被験者同士数分ずつ肩のもみ合いをしてもらう。その時に被験者同士の会話は一切しないように指導する。
それを毎日か、または定期的に行う。

やることはこういうことなんだけど。
実はその被験者同士はお互いが日頃から好ましく思っていない間柄する。
何かの出来事で長期間お互いが険悪になっている。または会うと必ず喧嘩になる。口も聞きたくない関係。
そういうコミュニケーションがうまくいっていない関係の人同士をわざと肩を揉む相手は他人ですと言ってそれをやってもらう。
それをやることによって、言葉ではなく体からのコミュニケーションで実際の関係をも良好にさせてしまうことが可能なのではないか?ということをアクエリオンは示していると思う。簡単に言うと。。。
体には認識の修正機能というものがあるんじゃないかな。
人は何かを見る、何かを聞くそして何かを思うでかなり認識に歪みが生じると思う。
それを一旦遮断し、お互いが体を使ってどんな形であれ接触すること(マッサージ的なもの)によってそれが表面の認識が改善され、お互いの関係が上手くいく。
もしかしたら犯罪の被害者、加害者という関係もこういう方法で相互理解ができ、お互いに許しの心が生まれてくる気がする。
こんなことを表現しているのじゃないかな、アクエリオンは。
実際こういう実験ってあるんだろうか?

それから、

ある本にこんなことが書いてある。

昔から「百尺竿頭一歩を歩め」とか「清水の舞台から飛び降りる」などと言われていますね。

こうなった時のことを聖と言うようです。そうなった瞬間に、人は道を離れると思うのです。これから先は段階の世界ではない。即ち三次元的なものから四次元的な発想に変わるのではないかと思うのです。

その世界へ出てしまうと完全に自由であり、あるがままでいい。何も上達しなくてもいいし、よりきれいになるとか、より優れたものになるとか、より善なるものになるということもない。善も悪もない、きれい汚いもない、優れている優れていないもない。尽きることもない、尽きないこともない、不生不滅であり、不増不減であり、色即是空でありというような世界ですね。道は無限だなどと言っていないで、道は一刻も早く歩き終わって、早くその世界へ入ってこなければいけないと思うのです。すると今度はこの世界においては色も空もない、すべてはただ一つである。限りなく一つであるが故に、限りなく0でもあるということです。そういう意味で一の空間とか0の空間とかいうわけです。

針谷夕雲はこの世界を表すのに日本の武道家にしては珍しく、聖という言葉を使っています。そして空に太陽が一つしかないように、あるいは月が一つしかないように、聖というものは頂点で、まったく一つしかないと言っています。三人四人になっても一つしかない、すなわち一の空間です。こうしてお互いに聖になった者同士が向き合った時、「相抜け」という状態になるというわけです。この聖というのは清らかという意味ではなくて、そのままで完璧、完全である、さらにいうなら完全も不完全もない、絶対の世界です。私たちは道を通して、この絶対の世界に入らなければいけないというのです。

この自由な世界に飛び出せる断崖に至るのが道であり、その歩き方はいろいろな方に教わるのだけれど、一旦壁を超えて外の世界に出たら、もう先生はないのです。そこはもう師もない弟子もない、空の世界、無の世界、アガペーの世界だと思うのです。この絶対の世界、一の世界に出てからが本当に自分の自由な世界ですから、道だ道だといつまで言っていないで、早くさっさと通り抜けてしまうことが大切なのです。

これは青木宏之氏の「からだは宇宙のメッセージ」という本から抜粋しました。

これを読んだ時、正しく「創聖のアクエリオン」だと思った。

人は何かを成し遂げるため螺旋階段を昇って行く。
その最後の頂上についたとき、師(不動GENみたいな人)が言う。

「最後の仕上げは、ここから飛び降りることだ!」

今まで昇って来て、それが最後の試練!?
という感じじゃないだろうか。

極限まで行ったとき最後に今までのことをすべて手放す。
その境地が「聖」。
それが「創聖のアクエリオン」の世界観じゃないのかな。


あと他に、
「創聖のアクエリオン」は本当に考えられていると思う。一見ギャグテイストで覆い被さっているけどめちゃくちゃ繊細な感覚がある。

絵と音楽とセリフの関係についてはある意味で河森正治監督の発明だと思う。
これについて話すと長いが監督自身も語っていたことで、普通の作品では(アニメ以外でも)絵と音楽とセリフはだいたい同じテイストにハマるようにしている。楽しかったら楽しい感じの、悲しかったら悲しい感じの、感動だったら感動の、絵や音楽、セリフに統一している。
それをあえて外している。
外しながらだんだんズラし、ズラして、時々絶妙に合う、マッチングしている。
シンクロというのかな。奇跡を演出している。
それがめちゃくちゃ気持ちイイ!!んだよね。鳥肌が立つとはこのこと。
それからこの絵と音楽とセリフを踏まえて、視聴者の呼吸も考えて作られているんじゃないかと思う。
なんというか普通の監督が考える視聴する呼吸、いわゆる間というのではなくて、なにか科学的な要素?を含んだ何か。よくわかんないけど。
それを時折ギャグ、ユーモアを混ぜて、心の抵抗を取っ払いながらで行う。そうすると絶大な効果、今まで感じたことのない感動を呼ぶんじゃないのかな。
絵と音楽とセリフと視聴者の呼吸の合体。
そんなものも感じたんだけど。

また、
「創聖のアクエリオン」を最後までみて面白かった人はもう一回始めから見てみてください。
そうしたら面白い発見があると思う。

色んな人の立ち位置、立場が変わっているんだ。
その時々の状況などで微妙だったり、大胆だったりするんだけど、変化している。
というか逆になる。
立ち位置や立場、エレメント同士、現世と過去世、人類と堕天翅までも。。。
まさに上下左右天地が入れ替わり立ち代わり行ったり来たりの大騒ぎ。
収集つかないくらい。製作者サイドは混乱しなかったのかな?

それから些細なシーンにもヒントは隠されているということ。
そのヒントはアクエリオンの謎だったり、これから起こりうることを暗示していたり、
またその場に誰がいるのかもヒントとなっている。そしてさらにいうとその場に「誰がいないのか」も重要になっていると思う。
大事なものは見えないところに隠れている。。。

あとは、
人の体の要素としていろんなものが詰まれている。
要素・・・つまりエレメント。
人間には大きく分けて五つの要素がある。
空・風・火・水・地
この五つがバランスを取って人間は健康な状態となる。

空・・・シリウス
風・・・シルヴィア
火・・・ピエール
水・・・麗花
地・・・アポロ

これがメインキャラクターと一致する。思い当たるシーンも多いと思う。
そしてこの五つの要素にも当たるチャクラも関わっている。

第1チャクラ・・・アポロ
第2チャクラ・・・麗花
第3チャクラ・・・ピエール
第4チャクラ・・・シルヴィア
第5チャクラ・・・シリウス
第6チャクラ・・・ジュン
第7チャクラ・・・リーナ(?)

臓器として
心臓(ハート)・・・つぐみ

その他のメンバーは・・・よくわかりません。(不動司令は人それぞれが心の奥深く中にある大いなる知恵の象徴かな)

そしてそれらを超越した存在、高次元量子レベルが高い存在が堕天翅と言われる頭翅達。
よくアトランディアにあるマークや堕天翅が現れるときのマークは五角形をモチーフとしているのは気づいただろうか?あれはおそらく人間の持つ五つの要素すべてが揃っているということを表していると思う。
それから堕天翅族に関しては「脳の三層構造説」の爬虫類脳(脳幹)としてシンボルにも当たると思う。

ポール・マクリーンの脳の三層構造仮説:本能~情動~知性の相補的な機能 カウンセリングルーム:Es Discovery
http://charm.at.webry.info/200506/article_5.html
1.爬虫類脳(reptilian brain)

進化の時間的過程において最も古い年代に発生した脳器官であり、自律神経系の中枢である脳幹と大脳基底核より成り立つ。
心拍、呼吸、血圧、体温などを調整する基本的な生命維持の機能を担い、爬虫類に特徴的な自分のテリトリー(縄張り)の防衛意識などを発生させる。
種の保存というよりも自己保全の目的の為に機能する脳の構造部位である。

くわしくなると僕にもさっぱり分からないけど、堕天翅族の思考と似てると思う。
まぁ、「創聖のアクエリオン」って、言うなれば一人一人の脳の中の戦いっていうふうにも見える。

あと、
スピリットレベル(魂)、マインドレベル(思考)、感情オーラ
プラスとマイナスと中性、

こういう人体とかかわるいろんな要素を絡ませながら物語は進行していっている。(昼と夜、晴れ・曇り・雨など天候にも左右されている。)
初めはアンバランスだったものが合体することによって想いを共有しながら整っていく。


最後に、「創聖のアクエリオン」を一言で言うと僕が思うに、

乱交パーティだと思う。

いろんな人種、種族、環境、感情、思考、魂、ゲイ、レズ、ブラコン、ナルシスト、ゲテモノ好き、ドラキュラ、目が見えない、足が不自由、爆発癖、合体依存症、不幸を呼ぶ女・・・こういうそれぞれ違う人達が集まって、合体に次ぐ合体をする。
体位を変えながらw
そして気持ちイイと感じる。
まさしく乱交パーティそのものだと思う。
その乱交パーティみたいなものが現代病を救うと思う。
合体恐怖症になっている人にアクエリオンを処方したい。





いつか来るのだろうかと思う。
「創聖のアクエリオン」を見終わったとき。

「やっぱり、勘違いだった。」

と思う時が。
密かにその時が来るのを楽しみにしている。
なぜかというと、それを思ったとき
「聖」を体験した時じゃないのかな。


創聖合体!

GO!!

アクエリオン!!!




P.S.
最後まで乱筆乱文でしたがいままでありがとうございました。
またアクエリオンのことでまだまだ書き足りないことがあるので書くことがあるかもしれませんがその時はまたよろしくお願いします。
あと新作の「アクエリオンEVOL」がいつか放送されると思うんですがその時はレビューはしません。初めはゆっくりみたいので。まぁ、またハマるとも限りませんしw
でももしハマったら、再放送の時にするかもしれません。
それでは。
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この記事のコメント
すばらしい考察です。是非エボルの際もお願いします!
2011-08-04 Thu 01:06 | URL | あおいの #Tw.H58A2[ 内容変更]
コメントありがとうございます!

>すばらしい考察です。

お褒めいただきありがとうございます!
こんな文章でも誰かに届いていることが大変嬉しいです。

まだまだアクエリオンは奥が深いと思います。欠片をちょっとすくったようなものだと思います。
そういうアクエリオンの魅力が一人でも多く気付いてくれますよう密かに・・・いや大々的に願っています!!
アクエリオンは本当に面白い!!!

>是非エボルの際もお願いします!

申し訳ありませんが、
本文にもあるとおり、またハマったら再放送時にでもやりたいと思います。
なぜかというとエントリーを書く労力を考えながら放送を見ると面白いものもそれが多少半減してしまうと思うので。(過去のこのアクエリオンのエントリー達も文字数と比べてかなり時間がかかっていますw(^_^;))
ですので初回放送時にはゆっくり何も考えずアクエリオンの世界に浸りたいと思います。
なのでそのところご了承お願いいたします。

でも、そう言って頂けたことはとても嬉しいです!
ありがとうございました!
2011-08-04 Thu 11:35 | URL | グリメラ #-[ 内容変更]
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